大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪簡易裁判所 昭和41年(ろ)1739号 判決 1966年12月01日

被告人 森川博文

主文

被告人を罰金三、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納できないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

(罪となるべき事実)

訴因・罰条の予備的追加請求書のとおり。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

道路交通法第四三条第九条第二項第一一九条第一項第二号第二項同法施行令第七条昭和三五年公安委員会告示第一〇号刑法第一八条(なお量刑につき別紙参照)

(裁判官 西岡宜兄)

なお刑の量定につき若干補足する。

一 本件において検察官が正式裁判の請求をした理由は、その論告要旨に徴すると、要するに略式命令における罰金三、〇〇〇円の量刑は、(イ)現下の犯罪情勢に照らし明らかに軽きに失する、(ロ)本件と同種事犯における裁判例と比較して著しく軽きに失し、科刑の均衝ひいては裁判の公正維持のためと、一般違反者に対する影響と云う見地から妥当を欠く、と云うにある。

そこで以下当裁判所の見解を述べることとする。

二、前記(イ)の点について

(一) 近時における交通事故の激増と、これによる人命その他の損害は吾人の眼をおおわしめるものがあり、その解決が現下の政治的・社会的一大問題であることは公知の事実である。交通事故の絶滅、それによる悲惨な被害の消滅は今や国民総ての悲願であるというべきであるが、その目的を達するためには、交通事故発生の原因となり易い道路交通法違反行為の減少を目指すことがまづ必要であろう。その見地からは、勿論刑罰のみを以てしてその解決を計りうるものではないにしても、前記違反の罪に対する科刑も、その情勢に応じ相応にきびしくならざるを得ないことは当然である。そしてこのような事情と、本件のような所謂指定場所の一時停止違反行為に基づく交通事故の発生が近年増加の傾向にあること、及び右違反の罪に対し多数の裁判例が罰金五、〇〇〇円に処していることが、顕著な事実であること、又現時の貨幣価値などを併せ考えると、右違反の罪に対する科刑は、罰金五、〇〇〇円を以て相当とする。

(二) 尤もこれに対しては、裁判例の多数が、所謂信号無視違反行為に対し、「止れ」の無視違反に対しては、罰金五、〇〇〇円、「注意」の無視違反に対しては罰金三、〇〇〇円を以て科刑していることは顕著な事実であるところ、社会一般の意識として、前記一時停止違反行為よりも、右「止れ」無視違反行為の方がより違法性が大きいと考える傾向があるのではないかと思われ、又一時停止違反に基づく事故の増加は事実としても、そのような事故の多発する場所には、本来信号機を設置すべきであつて、その執るべき措置をなさないで事故増加を理由に一時停止違反の刑を徒らに重くすることは、畢竟政治・行政の面における責を不当に一般運転者に帰せしめるものであり、行為の本質に鑑るならば、その刑は精々前記「注意」信号無視違反の罪と同等が相当である、とする見解も考えうるのである。これも亦充分考慮さるべき論拠であり、もとよりこの種事犯の防止ひいては交通事故の絶滅を期するには、現時の道路交通の状況その他諸般の点に鑑み、政治・行政の面よりする強力かつ国家的綜合的な対策を早急に講ずることが根本的な解決策であつて、徒らに事故激増の現象面のみを捉えて刑罰の加重を指向することは、素朴な刑罰論たるを免れず、必ずしも問題解決の根本を衝くものではないと思われる。そしてそうした考え方からするならば、本件略式命令の量刑も強ち甚しく軽きに失し、合理的理由が存しないものとは云いえないというべきである。

ただ右の見解もさることながら、前記のような国家的綜合的対策の早期に講ぜらるべきことは焦眉の急であり、望ましいことではあるにしても、それは国民経済国家予算等社会全般の観点からの考慮を要することであつて、少くとも現実の問題として早期にその完全な実現を期待し難いものも少くなく、他面その間にもこの種違反行為に基づく悲惨な交通事故発生が増加を辿つている傾向を放置しておくことは許されないことを考えると、或程度は、その違反に対する科刑が厳に向うことも止むを得ないことであつて、そのような点から、前記見解は当裁判所の採らないところである。

(三) 従つて被告人の本件違反行為に対しては、本来ならば罰金五、〇〇〇円に処するのが相当であるが、ただ被告人は、当公廷におけるその供述及び態度等に徴すれば、当初より罪を自認して事実を争わず、略式命令に服罪する意思であつたと認められるところ、偶々量刑に関し、略式命令を発した裁判所と検察官の見解の相違から、検察官に正式裁判の請求をされ、そのため謂わば被告人の責に帰し得ない事情から、その間確定に至るまで、被告人としての不安定な状態に置かれ、かつ当公判廷への公判期日出頭によつて、その経済活動等の休止を余儀なくされ、かくて略式命令に不服を称えず、検察官よりも正式裁判の請求なく、そのまま命令が確定したような通常の他の違反者の場合に比すれば、その分だけ余分に有形無形の実質的制裁を受けたに等しいとみることができる。そうとすれば、今被告人を本来あるべき罰金五、〇〇〇円に処することは、被告人の関知しない事情によつて、前記のような他の通常違反者よりも実質的に重く罰する結果となり、かかる結果は殊に本件犯罪の罪質に照らしても相当でないと解せられる。そこで右のような点及びその他諸般の情状を考慮して、被告人を罰金三、〇〇〇円に処することとする。

三 前記(ロ)の点について

道路交通法違反事件のように、事実上大量的類型的処理の行われている事件については、同種違反行為につき、科刑が均一であることは、殊に好ましいことではあろう。しかし法は裁判官がその良心に従い、独立してその職権を行い、憲法その他の法律にのみ拘束されることを要求しているのであつて、その結果同種同内容のような事件であつても裁判所・裁判官によりその判断に或る程度の差異の生ずることがあるのは、制度として当然予想されることであり、むしろ裁判の独立の保障のためには止むを得ないことである(勿論それは審級制度等により必要な限り是正されてゆくものではあるが)。その点においては、たとえ類型的大量的処理の行われる道路交通法違反事件のようなものであつても、何ら異る事情はないと云わなければならない。そして本件違反行為に対する略式命令の罰金額が必ずしも合理的根拠を欠くものでないと解せられることは前記のとおりであり、又他の同種裁判例の罰金額と右略式命令の罰金額の数額及び現時の貨幣価値を考え併せると、右略式命令の科刑が著しく均衝を失するものは云えないと考える。まして裁判の公正は、裁判官が良心に従い独立して職権を行うことにおいてこそ保持されるのであつて、その信ずるところに反し、たやすく他の裁判例に追従するにおいては、却つて裁判の公正を害し、ひいては国民の裁判所たるの信頼を失う結果にも至るであろうことは明らかである。他裁判例と軌を一にしない点を以て、「ひいては裁判の公正維持のため」好ましくないとすることは、採りえないところである。従つて当裁判所としては、前記のような検察官主張(ロ)の趣旨からの量刑上の特段の考慮はこれをなさない。

四 なお本件罰金額については、検察官より仮納付の裁判の請求がなされているけれども、判決の確定を待つてはその執行をすることができず、又はその執行に著しい困難を生ずる虞があると認めるに足る特段の事情も認められないので、仮納付の裁判はしないこととする。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例